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2017年2月8日水曜日

無力さを感じるとき

無力だな、と思う。

婚活のサポートのような働きをして3年になる。
しかし、ノウハウというものは見いだせないし、
ありえない、イレギュラーな結婚の決まり方がCCMでも身の回りでも続発している。
私が何かしたのでもなく、CCMでできたのも出会いの機会をちょこっと設けただけのこと。

神様は、私に「無力さ」を教えるためにこのミニストリーを与えてるんじゃないかと思うくらいである。
それでも、神の奇跡としかいいようのないものを、こんなに目の前でみせられたら、
「それでいいな」と思ってしまう。神様の栄光を目撃する、これほどの満足は他にない。

婚活をしていても、自分の無力さを突きつけられることがある。
 頑張ったのにな。
 オシャレしたのにな。
 笑顔作ったのにな。
 積極的にやってみたんだけどな。
 言われた通りやったつもりなんだけどな。

でも、実らないときは実らない。
そんなときに、あらたな「傾向と対策」を突きつけられたら、心が疲れてしまわないだろうか。
良いと言われているはずの方法をやってみてもダメだったとき、自己嫌悪に陥らないだろうか。

私自身は、それを演劇のプロを目指していた時代に、さんざんに味わった。
良いはずのことをやれる限りやったはずだし、チャンスと訓練のためにお金も時間もかけた。オーディションや評価の場に出て、どれだけ鏡で自分の無様な格好を見たことか…。
どんどん自分が嫌いになっていった。自分を嫌いな人間に魅力も輝きもなかっただろうな、と今は思う。
完全、無力。挫折し、夢を諦め、すべて手放し、気持ちもやっと断ち切れた頃に、
人前で歌う機会がどんどん与えられ、今クリスチャンシンガーとして年間10本以上コンサートをやっている。

話は変わるが
今、ディボーションも礼拝メッセージもなぜかキリストの受難のシーンをやっている。
ペテロの3度も「イエスを知らない」というシーンは、本当に心に刺さる。
牧師先生のメッセージを聞きながら、きっと私だったらペテロ以下だったろうな、と思う。私たちには弱さがある。ペテロは、鶏が鳴くのを聞き、イエス様の言っていた通りに「知らない」と言ってしまったことに気づいたとき、どれほどの無力感を味わったことだろう。

でも、ふと思ったのだ。

もし、ペテロがあそこで、イエス様を「知らない」と全否定して逃げていなかったら…
もし、自分で言っていたようにイエス様についていき、仲間だ!と言い放ち、十字架かあるいは石打かで殺されていたら・・・
今、私たちに福音は届いていないよね!?
だって、ペテロが異邦人への伝道の扉も開いたんだもの。そして、ユダヤ人に対してもキリストの十字架の意味をはっきりと証した。それがなかったら世界宣教なんて今ほどきっとなかった。

そして、イエス様は、十字架にかかるずっと前にペテロに宣言していた。
「あなたはペテロです。私はこの岩の上に私の教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎをあげます。なんでもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。(マタイ16:18-19)」
このことは、イエス様の受難の時点では、なんにも成就していなかった。
ペテロを土台とした教会ななんて建っていなかったし、天の御国の扉が開くようなことも何も起きていなかった・・・。
ってことは、このことは、もっとずっと後、十字架と復活のあとの弟子ペテロに実現するっていうことを、イエス様は知っていたんじゃないのか?
これほど大きな使命をペテロに与えておいて、ペテロが一緒に死ぬようなこと、ゆるしただろうか?望んだだろうか?
ペテロが(そして他の弟子たちも)「たといご一緒に死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。(マタイ26 :35)」と言っても
「素晴らしい信仰だ!私と共に死ぬものは幸いです!」などとイエス様が言わなかったのは・・・
彼らが生きている必要があったからじゃないのか?
彼らが大事な使命をもち、十字架と復活と昇天の後に大事な働きをするとわかっていたからじゃないのか・・・?

ちょっと、ぞくっとした。

イエス様が十字架にかかり死なれたとき、弟子たちは、人生で一番無力さを感じたであろう。絶望だっただろう。
だけど、
その無力という砂漠のずっと地下で、水は脈々と流れていたということではないだろうか。

私たちもそうなのではないだろうか。
どんだけ無力であっても、どんだけ絶望であっても、
その根底で、私たちのはかり知らぬ地中深くで、神様のご計画は脈々と流れる水のごとく進んでいるのではないだろうか。

いつかそれが、オアシスの泉のように、地表に出る時があるのではないだろうか。

そう、聖霊が注がれ目が開かれ、彼らの本当の人生が動き出したときのように・・・
私たちにも、急に人生がどっと動きだすときが来るんじゃないか。

あぁ、神様は全てをご存知だ。そして、私たちはまだまだ道の途中。
無力でもいい、絶望でもいい、神様はちゃくちゃくとご計画を進めてくださっている。
私たちは精一杯、目の前の壁にぶつかり、無力の中でへりくだり、栄光を前に感謝と賛美をし、自分なりに歩みを進め、成長させられていけばいいいのかもしれない。

そう思ったら、

ちょっと、前に進むための、希望を感じる。
無力なのも、わるくないな、なんて思える。(私だけ?)





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