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2017年3月13日月曜日

私の見てきたクリスチャン夫婦たち

私の家庭は、いわゆるクリスチャンホームで、
父も母もクリスチャン、同居していた祖父母もクリスチャン
夫の家庭も、いわゆるクリスチャンホームで、
義父も義母もクリスチャン、同居されていた義祖父母もクリスチャン
生まれた時から教会に連れて行ってもらっていたので
そこにもクリスチャンの夫婦や家族がおり、
今行っている教会にももちろんクリスチャンの夫婦がおり、
友人にもクリスチャン夫婦が何組かおり、CCMつながりでクリスチャン夫婦の誕生とそれからを見ている。

私も夫も
たくさんのクリスチャン夫婦を見て育ち、
とにかく家に帰れば2組のクリスチャン夫婦がいたわけだ。

クリスチャンであり、クリスチャンホームに育った・・・ということ以外に
ほぼ何の共通点もない私と夫が
唯一「だよね」と意見が一致していたことは


『クリスチャンの夫婦の一致ってなに?』

ということだった。

だって、見てきたもの。
父と母が、祖父と祖母が、全然ちがう人間で、ものの考え方も違えば、信仰も神様感もちがう。メッセージを聞いて響くところも違えば、趣向も違う
教会への参加の仕方も違うし、、、

はっきり言って、
いつも一緒、いつも二人が同じことをしている・・・
なんてことは、ない!!

牧師夫婦はその働き上、きっと一緒にいる率は高いけど・・・
いや、それぞれもつ賜物は違うから、やっぱり分業しているところはある。

そして、なにからなにまで一致なんかしなくても、意見が同じじゃなくても
一緒になれる、家族になれるもんだ・・・と
思ってきたのだ。

そして
意見とか思いとか信仰感(?)神感(?)が一緒なことよりも
もっと大事なことがあると思っている。

それは、
「相手の考えを認めてあげ合うこと。」

「そうなんだ、そういう感じなんだね。」と思って、
その意見や考え方をもつことを認めてあげ、受け止めあう。
そして、寄り添えるところは寄り添う。
一緒に行けるところは一緒に行く。一緒に来てもらえるところは一緒に来てもらう。

なんか、そうやって、やってるんじゃないかな・・・と
数々のクリスチャン夫婦をみてきて思うし、
結婚して5年目になるけれど、私たちもそんな感じだ。

個人的には、
夫婦の意見が一致しすぎることに、ものすごく危機感を感じる。
変な方向に行った時に、止めたり、冷静さを与えたり、警告してくれる存在がなくなってしまう。
違う考え方を持っているから、私には見えない側面が彼には見える。
こんなありがたいことってないのだ。


神さまが求めている「一致」というのは、
一つのものになる、コピーのように同じになるということではないんじゃないかと思う。
じゃなかったら、神様はこの世界を、こんなに色とりどりに造らなかったんじゃないかとさえ思う。

新約聖書のパウロの言葉には「一致」とか「一つとなる」ということがよく出てくる。

1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください
3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。(ピリピ2章)

ここでの「志を一つに」の「志」はギリシャ語ではフロネオー「思う」で
「思いを同じようにする」という意味。
英訳ではBeing one in love and purpose=愛と目的において一つとなれ
と訳されている。
同じ人間になれ、染まりきれ、ということではない。
手と手を合わせるように、思いを合わせる、ということなんだと思う。

ほら、手と手を合わせても手がくっついて一つの手にはならないでしょ?
手を合わせても右手は右手、左手は左手、あなたの手はあなたの手、私の手は私の手。

そして、その一致や志が一つになるために大事な鍵が3節以降
はじめっから一致する人と一緒にいるのでもないし、
意見を戦わせて一つにするのでもない。

相手の意見をいったん尊重して受け止める。
「そうか、そういう感じなんだね」から、きっと始まる。

“ 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。”

こういう向き合い方があれば、夫婦は一緒に居続けることができるんじゃないかな、と思う。


どんなに「一緒だ!同じだ!」と思えても、やっぱり人間は一人一人違う。
でも、違いに落ち込まなくたっていい。
違ったって、孤独にはならない。全部を知っていて、決して離れない神様がいる。
そして、離れない努力をし続けてくれると、神と証人の前で誓ってくれるのが
パートナーだ。
その誓いは、神様が守ろうとしてくださるし、本人たちが破らない限り壊れない。

それだけでも、充分じゃないかな、

なんて、思うのだ。


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